店をやっていたころ、古本を棚に入れる(またはネットに上げる)とき、つい読みふけってしまう本というのがありました。やめようと思っても、なかなかやめられない。『ある美人の一生』もそうやって出会ったなかの一冊です。
獅子文六はご存知のように昭和を代表する小説家の一人でした。
しゃれたユーモアーを感じさせる作品には、テレビ・映画化されたものも多く(『娘と私』など)、随筆『飲み・食い・書く』など食通としても知られています。
脚本家でもあり、若いころ演劇を学びにフランスに渡ったという経歴の持ち主でもあります(ちなみに最初の奥さんはそこで出会ったフランス人)。
小説の主人公は「わき子」という名の明治生まれの女性で、彼女は、幼いころから誰もが認める飛び切りの「美人」でした。
対して妹の「きみ子」は、「不美人という方でもないのだが、少し、顔立ちに癖が」とありますから、今でいうとファニーフェイスという感じでしょうか。
美人の姉と、そうでもない妹。
獅子文六は、タイプの違う姉妹の山あり谷ありの人生を、結婚、出産、子の病死、不妊、夫の不貞、隠し子発覚、家族の死といったワイドショーなみのあれこれを織り交ぜながらぐいぐいと進めていきます。
こういう人、いるー、と思わせるような人物を描くのが、獅子文禄はとても上手な作家です。
たとえばすばらしい美人であるわき子は、自分の美しさを完ぺきに認識する一方で、美人としてのたしなみも常に忘れない、嫌になるほど生真面目な、ちょっと面白くないタイプの女性です。
また妹のきわ子は、容姿はそれほどでない分、人あしらいがうまく、ざっくばらんな性格とコミュニケーション能力で世間(そして人生)をうまく渡っていくタイプの女性として描かれています。
女性同士の付き合いにときにみられる声に出さない「無言のやりとり」も獅子文六は嫌になるほど巧みに書いています。
例えば、自分の結婚と妹の縁談を無意識に比べ、より恵まれていない妹の縁談にこれまた無意識に賛成するわき子の姿。
一方で、中年に差しかかり、家庭生活が安定してきた妹のきみ子も、昔は感じなかった姉への優越感を
「姉ほどの美人でなくても、姉よりも幸福な現在を、掴んでいる」
と抱くようになります。
ユーモアーを感じさせるテンポのいい文体のおかげで、まろやかになってはいますが、互いの境遇を比べるふたりの無言のやりとりこそ「女の人生」だと思い知らされるようです。
獅子文六は、気難しいことで知られた作家でした。
登場人物の長所と短所が、的確に描かれている獅子文禄の作品を読むと、それもむべなるかなと思います。周囲の人の、時に隠したくなるような癖や特徴にこんなにも気づいてしまう人は、気難しくならざるを得ないと思うのです。そしてこれこそが獅子文六という作家の「才能」のひとつだったのでしょう。
朝ドラなみの人生を生きる二人の姉妹を追いながら、時折表れるイタ気持ちいい人物描写にツボを押され、なかなかページを閉じられない。
基本的にはハッピーエンドで、一気に読んでしまいたくなる面白さがありながら、鋭い人物描写のおかげで俗に流れない。
ジェイン・オースティンなどでも分かるように極上の通俗小説とはたぶんこういう本をいうのだと思うのです。
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獅子文六『ある美人の一生』1965年 講談社(ロマン・ブックス・現在版元品切)
獅子文六『ある美人の一生』1964年 講談社(単行本版・現在版元品切)
(本文冒頭の画像は、ソフトカバーのロマン・ブックス版です)